読書

#8|毎日読書、人生に効く書籍紹介『愛とためらいの哲学』~「愛されたい」を手放し、本当の愛を選び直す~

📘 この企画について
「毎日読書、人生に効く書籍紹介」は、ストイックに毎日一冊、本気で選んだ“人生に効く本”を紹介する連載企画です。
仕事・習慣・副業・自己成長に効く一冊を、実践的な視点で深掘りしています。

“愛されたい”より、“愛する”という選択を

こんにちは!

どうも、マイケルです!

今回紹介するのは、哲学者・岸見一郎さんによる『愛とためらいの哲学』

この本のタイトルに「愛」と「ためらい」、そして「哲学」という3つのワードが並んでいる時点で、普通の恋愛本とは一線を画していることがわかります。

  • 「愛とは何か?」
  • 「どうすれば人を愛せるのか?」
  • 「そもそも、“愛する”とはどういう行為なのか?」

これらの問いに真正面から向き合い、アドラー心理学の背景を踏まえながら、人間関係全般、特に恋愛や結婚といった“親密な関係性”について深く切り込んでいく本書は、ただの恋愛指南書でもなければ、自己啓発書でもありません。

哲学者としての思考と、臨床の現場で人と向き合ってきた経験が融合し、まさに「人生の軸としての愛」を学ぶ書になっています。

本記事では、全8章+気づきのコーナーで『愛とためらいの哲学』を徹底的に読み解きます。

今、“誰かとの関係性”に悩んでいる人へ。

この一冊が、人生の視界を一変させてくれるかもしれません。

この書籍はこんな人におすすめ!
  • 人を「愛すること」に自信がない人  → 愛とは“才能”ではなく“選び続ける哲学”であることに気づけます。
  • 恋人・夫婦関係で悩んでいる人  → 価値観のズレ・依存・不安など、パートナーシップの核心に効きます。
  • 「自立」と「愛」のあいだで揺れている人  → ひとりで立つ力と、誰かと生きる力の両立を学べます。
  • 恋愛や結婚を“哲学”として捉えたい人  → 感情論ではなく、“どう生きるか”という視点から関係性を考えられます。
  • アドラー心理学に関心がある人  → 『嫌われる勇気』に共感した人にとって、本書は実践的な続編ともいえます。

どれか1つでも当てはまるなら、

この本の中に、あなたの悩みを軽くするヒントがきっとあります。

第8回の書籍はこちら)

第1章|「愛されたい」は“本当の愛”ではない

  • 「好きな人に好かれたい」
  • 「嫌われたくない」

人は誰しも、無意識のうちにこうした欲求を抱いてしまうものです。

けれども、岸見一郎さんは本書の冒頭から明言します。

「愛されたい」という欲望は、愛ではない。

これにはドキッとさせられました。

なぜなら僕自身、「どうしたら好かれるか?」を考えすぎて、自分を見失っていた時期があったからです

  • 相手の機嫌
  • 相手の気持ち
  • 自分の立ち位置

いつしか愛することより、「評価されること」「選ばれること」ばかりに意識が向いていました。

しかし岸見さんは、この“他者中心の愛”こそが、苦しみの原因だと言います。

つまり、「誰かに愛されたい」と思う限り、僕たちは永遠に不安を抱える存在になってしまうのです。

ではどうすればいいのか?

岸見さんが提示する答えは明快です。

愛は“与える”ものであって、“受け取る”ものではない。

この言葉が持つ重みは、実際に誰かを本気で愛した経験がある人ほど理解できるはずです。

相手がどう思っていようと、自分の中にある「その人を大切にしたい」という気持ち。

そこに見返りはない。

見返りを求め始めた瞬間、それは取引や依存に変わってしまう。

この視点こそ、愛に向き合う上で最も本質的な哲学ではないでしょうか。

また、「愛されたい」という欲求には、しばしば“承認欲求”が混ざります

「自分は価値ある存在だ」と感じたいがために、誰かに必要とされることを求めてしまう。

でも、それは『相手を愛している』のではなく、『愛されている自分』に酔いたいだけなのかもしれません。

この章を読み終えたとき、僕の中で静かな覚悟が芽生えました。

誰かに必要とされることではなく、

誰かを“本気で必要とすること”。

それこそが、自分にとっての“愛する”という行為なのだと。

第1章|マイケルの気づき

マイケル

「愛されたい」と願っていた頃は、常に不安だった。

「愛そう」と決めたとき、心が静かになった。

第2章|ためらいは“誠実さ”の証である

  • 「この人のことを好きだけど、なかなか素直になれない」
  • 「もっと踏み込みたいけど、怖さが勝ってしまう」

そんなふうに、『ためらい』が心にブレーキをかけるとき、私たちはついこう考えてしまいます。

自分は臆病なんじゃないか、と。

でも岸見一郎さんは、真逆のことを語ってくれました。

「ためらいがある人ほど、愛に対して誠実である」

この言葉に、僕は救われました。

むしろ、ためらいもなく関係を築こうとする人のほうが、軽率だったり、自分の欲を優先しすぎている場合がある。

本当に相手を大切にしたいと思っている人ほど、心を開くことに慎重になる。

それは、誠実さの現れなのだと本書は教えてくれます。

僕自身、過去の恋愛で「これ以上踏み込んで嫌われたらどうしよう」と、一歩引いてしまった経験があります。

その時は「勇気がなかった」と自分を責めていました。

でも、今になって思うのです。

あの『ためらい』は、相手のことを真剣に思っていた証だったのだと。

岸見さんはこうも語ります。

「好きだからこそ、言葉を選ぶ」

「愛しているからこそ、沈黙を選ぶこともある」

つまり、『愛している=積極的に動く』とは限らないということ。

時に『立ち止まること』『黙って見守ること』も、深い愛の形なのです。

現代はスピードと即断がもてはやされる時代です。

恋愛においても、返事の速さLINEの頻度「関心度」のバロメーターになってしまうことすらあります。

でも、岸見さんの言葉は、そんな風潮に一石を投じてくれます。

「すぐに答えを出さないこと」は、逃げでも無関心でもなく、相手と真剣に向き合おうとする姿勢なのです。

人と関わることは、正解のない旅路。

だからこそ、その一歩を踏み出す前に“ためらう”ことは、まぎれもなく誠実さの証。

むしろ、ためらいのない愛のほうが、危ういのかもしれません。

第2章|マイケルの気づき

マイケル

勇気がないんじゃない。

大切にしたいからこそ、ためらってしまうんだ。

第3章|愛とは“共に生きる”という選択である

「あなたがいないと生きていけない」

一見ロマンチックに聞こえるこの言葉。

しかし岸見一郎さんは、こうした“溶け合うような関係”に対して明確に距離を置きます。

愛とは、一体化ではなく“共に生きる”ことである。

恋愛や結婚において、僕たちはつい「ひとつになりたい」と願いがちです。

すべてを共有し、価値観も、好みも、未来のビジョンもピタリと一致する相手こそが『運命の人』だと考えてしまう。

けれど本書では、そうした幻想をやさしく壊してくれます。

愛とは、“自分”と“相手”という独立した存在が、並びながら生きていくこと。

お互いの違いを認め、尊重し、それでも共に歩むと決めること。

これこそが「本当の愛」だと岸見さんは言うのです。

この章で印象的だったのが、愛するとは「自分の人生に、相手の人生を迎え入れること」だという一節。

つまり、自己犠牲でもなく、依存でもなく、“ふたりの人生をすり合わせる努力”こそが愛の形なのです。

そのためには、自分自身の価値観をしっかり持っていることが大前提。

「相手に合わせる」だけの生き方では、自分を失い、いつか破綻する。

逆に、自分を押しつけてばかりいても、相手の存在を否定してしまう。

愛とは、互いの違いを抱えながら、“二本の足で立つことを選び続ける関係”なのです。

この考え方を知ったとき、僕の中で過去の恋愛の失敗がいくつか腑に落ちました。

相手にすべてを合わせていたときも、自分の価値観を押しつけていたときも、どちらも“独立したふたりの関係”ではなかった。

その反省から、今はこう思っています。

「どんなに愛していても、相手は“自分とは違う人間”である」

その前提に立てる人こそが、本当の意味で“愛する準備”ができているのだと。

第3章|マイケルの気づき

マイケル

一体にならなくていい。

隣で、同じ景色を見つづけられる関係があれば、それでいい。

第4章|“ひとりで生きる力”が、“ふたりで生きる力”をつくる

「この人がいないと生きていけない」

そう思えるほどの愛を、誰もが一度は夢見たことがあるかもしれません。

けれども岸見一郎さんは、あえてその理想に真っ向から異を唱えます。

真に愛することのできる人は、“ひとりでも生きていける人”である。

これを初めて読んだとき、僕の中で何かがはじけるような衝撃がありました。

今まで「誰かと一緒にいること」が幸せだと信じてきた。

でも本当は、「誰かに依存していないこと」こそ、愛の前提だったんだと気づかされたんです。

たとえば、

孤独が怖いから恋人をつくる。

寂しさを埋めるために誰かを求める。

それは“愛する”というより、“必要とする”に近い。

岸見さんは、こうした“代償的な愛”に鋭い視線を投げかけます。

つまり、心のどこかで「誰かがいなければ、自分の人生は成立しない」と感じているうちは、対等な関係は築けないのです。

自分の人生を自分で引き受ける覚悟。

ひとりで立つ強さ。

そのうえで、「あなたと一緒にいたい」と思える状態こそが、“ふたりで生きる力”の本質です。

ここで岸見さんが紹介する考え方に、「人生は誰のものか?」という問いがあります。

答えは当然、「自分のものである」。

にもかかわらず、恋愛や結婚となると「相手の期待に応えなければ」「パートナーの言う通りにしないと」と、自分の人生を明け渡してしまう人が多い。

これは“愛”ではなく“服従”に近いものです。

本書は、こうした思考に対して「NO」と言ってくれる一冊です。

僕たちは、誰かの所有物になるために愛するのではない。

自分の人生に誇りを持ったまま、誰かと並んで歩くために愛するのです。

第4章|マイケルの気づき

マイケル

誰かに依存しない強さが、

誰かと共に生きる優しさを育ててくれる。

第5章|「見せたくない自分」こそ、見せる価値がある

あなたは、どこまで自分を“さらけ出せる”だろうか?

好きな人に、自分の弱さや欠点をそのまま見せることに、抵抗を感じたことはないだろうか?

岸見一郎さんはこの章で、こう語ります。

愛とは、「見せたくない自分」を見せる勇気である。

人は誰でも、「こう見られたい自分」を無意識のうちに演じています。

特に恋愛の初期段階では、好かれたい一心で“完璧な自分”を見せようとしてしまう。

  • 弱音を吐かない
  • 余裕のあるふりをする
  • 過去の失敗を隠す

でも、それを続ける限り、“本当の関係”は築けません。

なぜなら、そこにいるのは「演じた自分」だから。

相手が好きになっているのは“虚像”であり、あなたのすべてではない。

岸見さんは、こう問いかけます。

「自分のすべてを見せられない関係に、果たして本当の愛は存在するのか?」

この問いはとても深く、僕の心に残りました。

僕たちは「愛されること」ばかりに意識が向きすぎて、「見せる勇気」を忘れがちです。

でも本当は、弱さを共有し合える関係こそが、安心で、信頼に満ちた本物のつながりなんです。

僕自身も、過去に「ダメな部分を見せたら嫌われるかもしれない」と怯えて、自分の内面をさらけ出せなかったことがあります。

でも、その関係は結局、どこか浅く、安心できるものではありませんでした。

一方で、自分のダメさも、過去の失敗も、未熟さもさらけ出して受け入れてもらえたとき

「この人とは、本当に深く繋がれた」と感じた瞬間がありました。

岸見さんはそれを「愛の深まり」と表現します。

見せたくない自分を見せることで、初めて“信頼”という土台が育つのだと。

第5章|マイケルの気づき

マイケル

完璧な自分じゃなくていい。

見せられる弱さこそ、本当の強さだ。

第6章|結婚とは“価値観の違い”を楽しむ旅である

「結婚するなら価値観が合う人がいい」

これは、誰もが一度は口にしたことのある言葉かもしれません。

でも、岸見一郎さんはあえて次のように言います。

結婚とは、価値観が違う人と共に生きる“訓練”の場である。

ここに、本書の核心があります。

恋愛と違って、結婚は“日常の連続”

朝起きて、ごはんを食べて、仕事をして、家事をして、寝る

その繰り返しのなかで、相手とどう向き合っていくかが試される関係です。

その中で必ずぶつかるのが、『価値観の違い』

  • 食べ物の好み
  • 片づけのルール
  • お金の使い方
  • 休日の過ごし方

どんなに似た者同士に見えても、細部を見ればズレはある。

そこで重要なのは、「違うから無理」と線を引くのではなく「違うからこそ学べる」という姿勢を持てるかどうか。

岸見さんはこう言います。

相手と価値観が違うとき、自分の生き方を問い直すチャンスになる。

つまり、価値観の違いとは“衝突”ではなく、“対話”の入り口。

相手を否定するのではなく

相手の視点を借りて

自分を見直す良い機会なのです。

結婚生活とは、

相手に自分の正しさを押しつける場ではなく、

“違いの中に意味を見出す共同作業”だ

そう岸見さんは語ります。

これは非常に成熟した愛のあり方です。

僕たちはつい、「自分と同じ価値観の人なら、うまくやっていける」と思いがちですが、

本当は、違う価値観にどう向き合えるかのほうが、関係の深さを決めているのです。

僕自身、「自分に似ている人」との関係が長続きしなかった経験があります。

逆に、「正反対の価値観を持つ人」とのほうが、対話と発見があり、関係が育っていったということもありました。

結婚とは、“同じになる”ことではなく、“違うまま一緒にいる”ための訓練。

そこにこそ、愛の成熟があるのだと実感しています。

第6章|マイケルの気づき

マイケル

わかり合えるから一緒にいるんじゃない。

わかり合おうとする姿勢こそ、愛のかたちだ。

第7章|関係を深めるのは“正しさ”ではなく“理解”

人と意見が食い違ったとき、あなたは何を優先するだろうか?

「自分の正しさを伝えたい」と思うだろうか。

それとも、

「相手の気持ちを理解したい」と思うだろうか。

岸見一郎さんは本章でこう語っています。

人間関係において、“正しさ”の押しつけほど関係を壊すものはない。

これは恋人同士だけでなく、夫婦・親子・友人関係にも共通する深い真理です。

どんなに理論的に正しかったとしても、それが「相手を屈服させるための武器」になった瞬間、関係性は対等ではなくなります。

そして、対等でない関係には、健全な“愛”は存在しません。

本当に必要なのは

正しさの主張ではなく、「相手の感じ方」を受け止める姿勢。

岸見さんはこれを「共感的理解」と呼びます。

たとえば

パートナーとケンカしたときに

「でも俺は正しいことを言ってる」ではなく、

「君はどうしてそう感じたんだろう?」

問いかける勇気があるかどうか。

その姿勢こそが、愛を継続させる土台になります。

この章を読んで僕は、自分の過去の言動をたくさん思い出しました。

  • 正論を振りかざして、相手を黙らせたこと。
  • 「言い負かした」という自己満足だけが残って、関係はどこか冷えていったこと。

でも、どんなに正しくても、相手が“傷ついた”と感じたなら、その感情こそが事実なのです。

愛する人との関係で大切なのは、「どっちが正しいか」ではなく、「どう一緒に前へ進めるか」

この視点を持てるようになるだけで、コミュニケーションは劇的に変わります。

正しさよりも、理解

説得よりも、共感

“勝つこと”ではなく、“寄り添うこと”

岸見さんの言葉は、ただの技術論ではありません。

人と向き合うときの“あり方そのもの”を教えてくれる哲学です。


第7章|マイケルの気づき

マイケル

正しさが人を変えることはない。

変えるのは、理解しようとする“姿勢”だけだ。

第8章|愛するとは、“相手の人生を生きること”

本書のクライマックスにあたるこの章で、岸見一郎さんは「愛とは何か?」という問いに対して、明確な答えを提示します。

愛するとは、“相手の人生を、自分の人生として引き受けること”である。

この一文に、愛というものの本質がすべて凝縮されています。

つまり

愛とは「好き」という感情のことでも、「一緒にいて楽しい」という共感でもなく、

「この人の人生を、自分ごととして共に歩んでいく」という“決断”なのです。

この視点に立てたとき、僕たちの中にあった“愛のイメージ”は大きく塗り替えられます。

  • 趣味が合うから
  • 居心地がいいから
  • 一緒にいると安心するから

それだけでは“共存”に過ぎないんです。

「この人の困難も、悲しみも、過去も、未来も──自分が引き受けたい」

そう思える覚悟こそが、“愛する”という行為の中身なのです。

岸見さんはこうも語っています。

相手の存在を“自分の人生の中心に据える”ことで、愛は形を持つ。

その中心には、自己犠牲でも、依存でもない、“主体的な選択”があります。

つまり

「あなたと共に生きる」という選択を、毎日繰り返すこと。

それが“愛”という言葉の正体なのだと気づかされます。

恋愛は、時に勢いで始まります。

でも、長く続く愛には、意志と選択が必要です。

「今日もこの人と向き合い続ける」と決めること。

その選択を積み重ねていく先にこそ、深い信頼と安心が生まれる。

僕たちは、“偶然の出会い”で人と繋がるけれど、

“継続する愛”は、毎日の小さな決断の積み重ねでつくられていく。

愛とは、誰かと生きることを、

「自分の人生の一部として引き受ける」こと。

その覚悟を持てるとき、はじめて“本物の愛”が、人生のなかに根づいていくのかもしれません。

第8章|マイケルの気づき

マイケル

愛するとは、想うことではない。

「共に生きる」と、毎日決め直すことだ。

まとめ|愛とは、“選び続ける”という生き方そのもの

岸見一郎さんの『愛とためらいの哲学』は、「愛するとはどういうことか?」という誰もが抱える根源的な問いに対して、極めて静かで深い“哲学的な答え”を与えてくれる一冊でした。

恋愛も

結婚も

友情も

「人と共に生きる」という営みの中で、僕たちは時に迷い、ためらい、不安になります。

でも本書は、そのすべての“揺らぎ”を肯定しながら、こう語ります。

それでも、愛するということは、“相手の人生を自分の人生として引き受けること”。

これは、感情の浮き沈みに支配される「好き・嫌い」の話ではありません。

むしろ、自分の意志で選び取っていく、“生き方の問題”なのです。

本書を通じて僕が学んだこと

どれも派手な言葉ではありません。

だけど、どこまでも“本質的”で、“普遍的”なメッセージです。

僕は本書を読んで、愛することへの不安が少しだけ小さくなりました。

そして、「それでも人と向き合い続けたい」と思えるようになりました。

人を信じること。

自分を信じること。

そして、誰かと共に生きること。

そのすべては、“選び続ける勇気”から始まります。

マイケル

愛とは、特別なことじゃない。

毎日を、誰かと“選び直す”ことだ。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

皆さんの人生に効く本を、これからも一冊ずつ丁寧に届けていきます。

次回の「書評日記」もお楽しみに!!!

📚 書評日記シリーズ|人生に効く本だけ、集めました

読書は、知識だけじゃなく“生き方”も整えてくれる。

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